高野山から姫路城 2

shorou

2018年01月30日 19:05

高野山から姫路城 2 です

1はこちら

朝5時半にアイフォンのアラームに起こされます。

6時からの朝の勤行に参加します。

洗面を済ませて本堂へ向かいます。


ここから先は撮影禁止です。


無量光院の勤行は略式ではなく、声明、読経と説法とで毎朝一時間半程のお勤めをします。

7人ほどの僧侶の読経が始まります。

参加者は我々2人と、外人の若いカップルの二組だけです。

灯りもない薄暗い本堂の中、ピーンとした空気が漂います。

隣では護摩を焚いています。

ニューヨークやパリその他の世界中のテロ災害や、東北、九州、広島などの自然災害の物故者に祈りがささげられます。

昭和ア~〇〇年ん~△△△△災害イ~の物故者にイ~
平成イ~〇〇年ん~ニューヨークウ~ ・・・
平成イ~〇〇年ん~東日本ん~大震災イ~・・・
てな感じです

よく聞き取れない部分もありましたが、戦争犠牲者やほかにもいろいろと読み上げられていました。

更に、個人の名前や企業の名前が読み上げられます。
智弁和歌山野球部の名前も読み上げられていましたよ。 (^_-)

御本尊の阿弥陀如来様にも間近でお参りが出来ました。

椅子に腰かけてのお勤めでしたので楽に参加することが出来ました。

勤行が終わり副住職が今の祈祷の内容、高野山のこと、空海のこと、真言密教のこと他にもいろいろと我々に話してくださいました。
(ありがたい話なのに外人さんには解らないよな~。かわいそうに)
などと思って聞いていました。

日本語の話が終わると

”Can you speak japanese?” 副住職さん 

”No" 外人さん

そこからあらびっくり!!

流暢な英語で今、日本語で話していたであろう(私の語学力ではその程度で一杯です。)ことを外人さんに話しています。 これにはびっくりです。 外人さんも喜んでいました。
後程わかるのですがこの副住職さんすごい人でした。

一通りお話を聞いて、住職たちの部屋でお茶をご馳走になります。

本堂から部屋に移動します。途中の温度計
室内の廊下で-5.8度です サムーッ


外人カップルと我々、住職、息子さんである副住職、住職の奥様、僧侶の方一名

雪見障子の小さな和室でお茶とお菓子をご馳走になります。

色々な話を伺うことが出来ました。

この寺の縁起や近年の事。 いろいろな著名な方がお泊りになっているようです。

副住職さん、七年間、東洋哲学の勉強の為中国に留学をしていたそうです。
それも国費ですって。 英語もとても堪能ですが本人いわく ”中国語は不便はないが英語はまだまだです” だって。 

住職さん、三人の息子さんにめぐまれて、長男は国費で海外留学の後、寺の跡を継いで、次男さんは東京で外交官だそうです。
DNAなのか皆さんご立派。 高野山の奥の深さを改めて感じます。(三男さんは聞きそびれました。)


外人の若いカップルとも話が進みます。

アメリカ人でシカゴの近くの町から新婚旅行で来ているそうです。

なんと、日本に3週間いて、その後、マレーシア、タイ、などアジアを回っての五か月間の新婚旅行だそうです。
どうなってんの。 (^_^;) スケール違うよね。

日本の初めがここ、高野山だそうです。 日本の第一印象をどう思ったのでしょうか (^_-)
この後、大阪、京都、東京と回るようです。
副住職の語学力のおかげで、外人アベックとも楽しく会話をすることが出来ました。

僧侶たちは住職、副住職以外は修業僧のようです。
半分は各地のお寺の後継ぎさんが修業に来ている様なのですが、残りはいろいろな伝を使かって紹介を受けて入山した人、中には飛び込みで修行僧になる人もいるそうです。 
その中には女性もいました、また海外からの修行僧もいました。

お茶の接待をしてくださった僧は、秩父出身で寺には縁が無かったのですがこの寺ですでに6年修業をしているそうです。

”将来は御坊様になるんですか?” と尋ねたら
”それは、お大師様がお決めになることです。” との事。 何ともかっこいいじゃないですか。 (^o^)

コーヒーを頂いたりしているうちに、食事の用意が出来た様子です。
(お茶飲んで、お菓子食べて、コーヒー飲んでから食事です。 順番が完全に逆転してます。 (^_-) (笑) )

朝も精進料理となります。



本来これだけあれば十分なはずですよね。 少し負け惜しみ(^_^;)

10時チェックアウトです。

料金を支払ってから、荷物を預かって頂いて参詣へ向かいます。


今日は上々の天気です。

昨日ほど寒くもありません。

バスで再び 奥之院 へ

今日も一の橋から歩いて行きます。


昨日とは天候で趣もかなり違っています。


今日は時間をかけてゆっくり、ゆっくりと巡って行きます。






武田信玄 勝頼の墓所

一つ一つ足を止めてゆっくりと行きましょ (^o^)



木の株の隙間にも


道端にも

誰か一般の人が置いたのでしょうか。 いつからあるんだろう

石田三成さん (私結構好きです。 (^o^) )

三成さん、徳川家 勝者の歴史ですっかり悪者にされてしまっていますが、実際の評価は違うんじゃないのかな。

すぐそばには 明智光秀さん

こちらも歴史上さんざんな言われようですね。 とても優秀だったとか。

何れにしても歴史は勝者が作るものです。 (-。-)y-゜゜゜

企業の墓所も沢山あります。

この写真、 パナソニックのレンズで撮ってます。 (^_-) (笑) 

こちらもよく写真やテレビに出てきますね。
化粧地蔵

このお地蔵さんに化粧をすると、化粧をした人も美人になるそうですよ。 (^o^)

赤穂浪士 浅野家の墓所




豊臣家の墓所



秀吉さん 一度は高野山焼き討ちを考えていたそうですが、高野山の木食応其という僧との話し合いで焼き討ちをやめたそうです。
その後一変して高野山を厚く庇護したそうですよ。

織田信長


この方も比叡山を焼き討ちにした後、ここ高野山も焼き討ちにする計画だったようですね。

丁度そのころに 本能寺の変 で命を落とします。

先ほどの、明智さんがいなかったら高野山焼き討ちされていたかもですね。

それにしても織田さんの墓所は奥ノ院の超一等地にあります。
ここら辺りも高野山の懐の広さでしょうか。 

今日も御廟橋を渡ります。

丁度10時半。

弘法大師に食事を届ける 「生身供(しょうじんぐ)」 の儀式を見ることが出来ました。
写真撮影はNGのようです。

今日も弘法大師御廟で手を合わせます。
”南無大師金剛遍照 南無大師金剛遍照”

昨日は独り占め状態でしたが、今日は外人の団体さんなどが参詣をしております。

再び御廟橋を渡って来た道を帰ります。

中の橋から





一の橋へ

奥之院二日連続でお参りをさせていただきました。

これから 金剛峰寺へ 向かいたいと思います。

つづく



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