小田原 一夜城1

shorou

2015年10月13日 17:57

2015.10.10日

小田原一夜城址に行ってきました。

最初は晴れの予報もあり ”たまにはちゃんと歩こう” と言うことで 弘法山 を目指して小田急線に乗り込みました。

しかし窓の外、天気がはっきりしません。 雨の心配は無さそうですがどんよりと曇っています。
(10月10日と言えば晴天率が良かったはずですよね。 そのため前回の東京オリンピックの開催日が10月10日になったはずなのにな~)

町田を過ぎたあたりから、だんだんと気持ちが萎えて来ます。

弘法山登っても、富士山の眺望はなさそうです。

本厚木を過ぎたあたりで、 予定変更

小田原まで足を伸ばすことにします。

以前から一度、小田原一夜城城址を訪ねて見たいと思っていたので、丁度良い機会としました。

例によって No Plan のまま、秦野駅を乗り越して小田原駅まで行きます。

普段、小田原界隈は縁が無いわけではありませんが、ほとんど車か、新幹線のホームしか行きません。

在来線で小田原に来たことは記憶にありません。

降りてびっくり。 (^0_0^)  立派な駅です。 ヾ(*´∀`*)ノ


小田急の改札を出て、JRの改札です。
大きな小田原提灯のオブジェが掛かっています。


まずは観光案内所で情報収集と思いましたが、10時からいうことです。
30分ほど時間があります。 喫茶店に入って朝食を食べながら、10時を待ちます。

観光案内所で 小田原宿観光回遊バス
の情報をもらいます。


春と秋の一定期間、市内を専用バスが30分~40分間隔で一周します。

500円で缶バッチの参加章を購入しますと、バスは途中下車、途中乗車と乗り放題になります。

それも、期間中何度でもOKです。 さらに、来年の春のシーズンにこの缶バッチを見せると、春の分が300円になるそうです。

早速バッチを付けて東口一番バス乗り場へ。  10時半の一番のバスに乗り込みます。

バスにはボランティアのガイドさんがいます。


乗客は、我々二人、若いご夫婦二人連れ、男性単独行 の5人。

なのに、ボランティアさんは6~7人乗ってます。(ガイドの見習いさんだそうです。)\(^^)/

窓から見える小田原市内の案内をガイドさんから聞きながら、一夜城城跡へ向かいます。

途中からみかん畑の合間の急な山道を上がって行きます。

20分ほどで、 一夜城歴史公園前 のバス停に着きました。


ここから別のボランティアガイドさんが案内をしてくれます。
バスで一緒だった若いご夫婦と4人です。(こちらのご夫婦かなり歴史に詳しそうです。最後まで行動が一緒でした\(^^)/)

ここ小田原一夜城は420年ほど前、豊臣秀吉が天下統一の最終章として北条攻めをした時に小田原城を見下ろす山の上に一夜にして城を築き、北条の戦意を喪失させ小田原城を無血開城へと導いた城後です。

詳しくは こちら

420年以上前に近江の石積集団 穴太衆 (あのうしゅう) が組み上げた石垣の一部がそのまま残っています。
                                  多くは関東大震災で崩れてしまったそうですが、こうして残ったものも多くあります。

角の石角も特殊な技法が使われているようです。


城跡を進んで行きます。

櫓台後です。

一夜の内に木を切り倒して城を現わにしてこの櫓台で鐘を打って北条方を威嚇したようです。
小田原城を見下ろします。


本丸跡 ガイドさんの説明を聞きます。

全てに資料が残っておらず、発掘の出土品から当時の模様を想像するしか無いようです。


ここに五層の天守閣があったようです。


天守台跡を過ぎると下りが続きます。

城道の脇の石垣です。 細く積まれた石は排水路であったろうということです。

こちらも当時のまま残っている貴重なものだそうです。

備忘録に説明を写真に収めておきましょう


流石に一夜にして出来た城ではないにしても、それでもおよそ3ヶ月で作り上げたそうです。
それでもびっくりですよね。改めて 秀吉恐るべし・・・  ですね。

このお城、小田原城開城後はあまり使われることもなくなり、また江戸城築城の際には石垣の石が多数運び出されたり、関東大震災で崩れたりと、だんだんと衰退していったようです。これも記録がなく詳しいことは分からいそうですが、明治時代までは天守の一部が残っていたようです。

これにて歴史散策は終了です。

ここから気分を変えて目の前の  こちらへ  伺います。


つづく






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